The Bonin Islands

デザインTシャツ【コウシュ】のブログ

春の小笠原旅行記。

頭の片隅でいつか行ければな、とかすかに思っていた小笠原。
行くのは1週間がかり、行ってしまったらすぐには帰ってこれない、
だからなかなか行けない、と信じていた。

今年の春の過ごし方を考えていたとき、
ふと、リモートワークを前提とすれば気軽に行けるのでは?と思いつき、
ネットで軽く調べる。
この時点では本気で行くつもりはなかったのだが、
飲みの席で知り合いに、小笠原でリモートワークしませんか?と聞いてみたところ、
する!との即答があり、急遽2週間後の旅を決めたのだった。

というわけで、今回は、リモートワーク前提の小笠原旅行を
初心者一個人の主観でご紹介。

 

リモートワーク実践編

1.通信環境

父島・母島は2011年より海底光ファイバーケーブルによってインターネットに難なくつながる環境が整っている。
そして、父島にたどり着くまでの間の小笠原丸ではStarlinkを利用可能。
小笠原丸として2025年6月からサービスを提供しているほか、今後ドコモなどからの利用も可能なようなので、
これからは、船の上だろうと島の中の僻地であろうと、何も気にする必要がない。
リモートワークの通信環境はあまり難しく考えず、宿やカフェのWiFi、スマホの大容量プランなどを活用すればよい。

2.作業場所

他方、作業場所については東京など都市の感覚はそのままは通用しない。
例えば父島に作業できそうなカフェは1-2個あるが、
東京のスタバのように人々がずっと仕事や勉強しているような空間は無い。
せいぜい1~2時間、他のお客さんがいないときに長居させてもらうことは可能そうだが、
空気に馴染まない。

でも、景色が良くて作業ができる場所なら浜辺にいくらでも存在はする。
屋根つきのオープンな小屋がいろいろなところに整備されており、机もベンチもあるので
作業自体は可能。
筆者自身、いろいろな浜辺でパソコンを立ち上げ仕事してみた。

大村地区の浜辺にも屋根付きの小屋が。

 

ただ、こちらも、ご近所の子連れグループが利用していたり、
風がびゅんびゅん吹く日もあるなど、毎日何時間もそこに居るというのはできなさそう。

よって、部屋で作業できそうな宿を確保することが重要。
閉塞感なく気持ちよい部屋や作業場所があると良い。
特に、1人でなく2人以上なら、オンライン会議中心?1人で黙ってやる作業中心?なども考慮して
スペースの使い方やスケジュールを考えたほうが良さそう。

 

なお、行き帰りの小笠原丸。
長時間の船旅は仕事してればあっという間に着いて一石二鳥!と思っていたのだが、
これは考えが甘く、船酔いがひどくじっと寝てるしか無かったのだった。
東京湾の中は安定しているので行きの最初の2-3時間がんばってしまったのだが、
その後が無理だった。

酔い止めをしっかり飲んで体調ばっちりの人や船に慣れている人のみ
往復時間も仕事できると見込むと良さそう。

左側はこの回で引退するという豪華客船日本丸。右側はわれらが小笠原丸。出航の際、汽笛を鳴らす。

 

3.その他、仕事に必要となる条件・モノ

いまどき仕事に必要なものは大抵はオンラインで何とかなるけれど、
物理的に紙にプリントして印鑑を押して郵便で提出、とか、何かを送る、といった仕事があるなら要注意。

プリント:ネット上で事前に調べた限りでは見つからず、本当に必要なら電話などして確認しておいたほうが良さそう
郵便や配送:所要日数は船のスケジュールに依存。宅急便は冷蔵・冷凍は不可とのこと
アマゾン:追加の送料も無く、普通に購入できるものの、届くまでの所要日数は船のスケジュール次第

 

4.昼食

丸一日仕事する日の昼食について。

宿泊先が中心部の大村地区にあるなら外食やお弁当があり心配ない。

そのほかの地域の場合、
大村地区との往復に20~30分かかり、
バスの本数も限られるため、
車やバイクをレンタルしてないなら
キッチン付きの部屋での自炊を考えたほうが良いかもしれない。

 

5.まとめると・・・

他の観光地と比べて小笠原がリモートワークにそこまで向いているわけではない。

その理由を考えてみると、
大型ホテルなら大きなロビーやラウンジなどがあるが、
小笠原にはそういった宿泊先はおそらくほとんどないので、
自室や自然の中での作業になる点かもしれない。

それでも。
休みを取らずにワーケーション、小笠原に長期滞在ってのはありではないか。
その理由は抒情編にて。

浜辺はサンゴのかけらでいっぱい。

 

旅の手配編

もし小笠原旅行を決めたなら、旅に向けてどんな準備をしたら良いのか、というところをご紹介。

 

1.時期・期間

今回小笠原に行ったのは3月末から4月初めにかけての2航海*分の約10日間。

(*小笠原旅行は船のスケジュールに依存するので、
おがさわら丸の「行き+現地泊+帰り」の1航海分を単位として計算するのが常識のようです)

何しろ事前の知識が無く、小笠原は常夏の島と信じていたのだが、
訪れた期間の気温は20度程度で湿気も少なく、東京とさして変わらず肌寒い日もあり。
海水浴に適すのは6~9月ぐらいとのこと。

月末・月初をまたがる今回の2航海分の期間では、
前半・後半とで島の混み具合が少々異なった。
3月末は考えてみたらちょうど春休み。
家族連れもちらほらいて宿も取りにくかったのが、
旅後半の4月に入ると、1人旅の方の比率があがり、全体として島がすいているように感じた。

海系のアクティビティには必ずしも向いていない時期であったけれど、
4月初めの静かな時期はリモートワークには良いタイミングだったかもしれない。

仕事が忙しかったり集中しすぎるとつい小笠原にいることも忘れて日中の時間が過ぎていくので
10日間は決して長くはなく、
きちんと遊びきちんと仕事するなら、3航海分以上も考えてみたい。

春に紅葉する小笠原の広葉樹モモタマナと堺浦の沈潜
春に紅葉する小笠原の広葉樹モモタマナと堺浦の沈船

 

2.宿・船・その他交通手段

筆者のケースでは、決断があまりに直前で、しかも春休みに重なったという事情があり、
特殊だった可能性もあるが、宿の確保はそこそこ大変であった。

どうやら、おがさわら丸+宿のパックがあるようなので、
もし予算や宿の選択肢にあまりこだわりなく楽に手配したいなら
これを選ぶのが良いかもしれない。

今回、そのような事情を知らず、まずは船を手配。
(他観光地ならまずは飛行機や新幹線さえ押さえれば後は何とかなる、という経験から)
そして1週間前ぐらいの時点で宿を探し始めたところ空きが全然見つからない。
一般的な宿泊予約サイトを見たり検索エンジンで宿を直接探したものの、
結局一番情報が集約されているのは、小笠原観光協会のサイトであった。
おそらく殆ど全部の宿の予約状況が一覧でわかるので、
ここで「✖」マークがついていないところに面倒がらずに電話をするのが良さそう。

父島の大きめの宿はおがさわら丸のいるとき(入港中)のみ営業して、
おがさわら丸のいないとき(出航中)には営業してない、ということもありそうで、
2航海分の場合おのずと出航中の期間をはさむため要注意
(筆者の泊った宿の隣はやっていなかった)。

今回、もはや断念せざるを得ないかも、と一瞬思ったものの、
根気よくいろいろなホテルに電話して
最終的にどうにかこうにか2つの宿を全期間分確保できた。
(※小笠原観光協会のサイトにも、宿は事前に確保してから島を訪れてください、との注意喚起が。)

 

そして島内の移動手段について。

レンタカーがあったほうが便利なのではないかと思ったのだが、
直前すぎて確保できず。

いざ、島で過ごしてみると、バスを利用すればどうにかなることがわかった。

例えば、中心地の大村地区と静かな扇浦地区の間の所要時間はバスでたったの10分。
バスと歩きを組み合わせれば、主なスポットには行くことができるだろう。

ただし終バスは18時台
夕食を食べいったときの帰りは宿のお迎えなどの利用が必要そう。

やどかりくんにお気をつけあそばせ。

 

3.食事

父島のレストランは大村地区に集中しており、
数日滞在して歩いてまわれば殆どのお店の雰囲気はわかってくるはず。
ネットで一生懸命吟味するより直接見たり一か八か入ってみたりしたほうが早いかもしれない。
ただし、18-19時頃の夕食集中時間帯は予約したほうが安全そう。

部屋のキッチンで自炊するなら、
大村地区のスーパーで食材を調達することになる。
出港中は品薄になるという情報もあるけれど、
旅行者にとっては大丈夫そうなレベル。
肉類は解凍肉なら常時並んでいるし、
野菜類は農産物観光直売所で父島産・母島産のものも買える。
そして生もの以外は品ぞろえが十分豊富。

調味料は旅行者用に少量のものはなかなか見つからないので、
持参もあり。

 

抒情編

さて、最後に旅行記。
とても長いのでここにも目次を。

 

1. 到着しての最初の印象

殆ど何もまともに調べない状態での小笠原についての勝手なイメージは、
青い海、蒸し蒸しする熱帯の気候、
遠く離れた島にわざわざ住んだり訪れたりする人々(野性味ある、こだわりある、味わいあるなどのタイプの人)、
台風で風雨が荒れ狂うお天気のテレビ中継、
といったものであった。

到着し、船を降りても揺れているように感じる状態の中、
そしてあいにくの曇天の中、
歩いてみると・・・
大村地区は、
観光用に整備された海沿いの公園、
狭いエリアの中にある低層の商店・飲食街、
海はすぐ近くにあるけれど、なんだかこじんまり。
そして乾燥していて寒い。

初日は曇り。丘の上から大村地区を見下ろす。左手に小笠原丸。

石垣島のマングローブや
東南アジアの国の熱気、暑くてだらっとした人々、
リゾートの島々のラグジュアリーで広々とした空間の建物、
そういったものは無く、
到着したとたんに異世界が広がっている!というのとは異なった。

10日間もある、という油断と
船酔いふらふら状態を引きずっていたのもあり、
また、島を様子見状態だったのと、仕事しなきゃというのもあり、
振り返れば最初の数日はまだまだ何もわかっていなかった。

 

2. 島の自然の中を歩く

少々肌寒い季節の父島は歩くのに最適。
ということで、父島マップを眺め、
往復4時間程度の散策という「小港海岸⇔ジョンビーチ」のルートを選ぶ。

小港海岸最寄りのバス停を降りると良い感じの小路。

散策ルートが整備されているという前情報のもと、
また、観光マップを見た感じ、等高線は1つ分ぐらいしかまたがっていないように見えたこともあり、
低地ばかりの楽々片道2時間と思っていた。
しかし、父島も母島も各所でそうなのであるが、細かな登り下りがたくさんあり、
合計すれば軽量級登山になりそうな量。
なめてはいけなかった。

ジョンビーチへ向かうルートの途中。

高いところに登ると島の景色が眼下に広がる。

起伏に広がる緑は派手さは無いのだが、
毎日この景色を見ていると愛着がわいてくる。

波の音や鳥の鳴き声が常にまわりを囲んでおり、
いつもより聴覚を敏感にしながら歩いていた。

フラダンスの腰ミノにできそうな葉っぱ

小笠原はご存じの通り世界自然遺産に登録され、
環境保全が進められているのだが、
そこには、固有種と外来種のせめぎ合いがあるようで、
我々が熱帯の植物とイメージするものが植わっていると、それは外来種であることも多そうだった。
勝手なイメージをあてはめていたことに気づかされる。

この固有種の低木林の景色を居心地よくなってきたとき、
父島の良さは、
無人島=Bonin(無人から派生した呼び名) Islandを味わうことにあるんだ、
と体に沁みるように感じたのだった。

 

3. 海にもぐる
母島。港の人工的なエリアも水が澄んでいて、水の外からも魚が見える。

さて、登り下りのはげしい陸地や緑も良いのだが、
小笠原といえばやはり海。
どんなに寒くても、やっぱり海に潜って魚がみたい。

浜辺そばの水深5cmぐらいのところでぐるぐる泳ぐ小魚の群れ。

そんな欲望を胸に抱き、
仕事の合間に2-3時間を確保して潜ってみた。
気温も水温も20度ぐらい。冷たいのは覚悟の上。

まずは、沈船のある堺浦にて挑戦。
船が岩礁のようになって魚がたくさんいるらしいが、
浜辺から泳ぐにはそこそこ距離があり、
ウェットスーツも身につけないでこの気温の中たどり着くのは到底無理。

右手が濱江丸。のちにシーカヤックで近づいたが、全長100m超。予想外に大きく驚いた。

浜辺からおそらく10mぐらい泳いだ時点でそれ以上進むのは断念した。
そこまでの範囲でカラフルな魚は見えなかったものの、大きめの魚の集団にはすぐに遭遇。
泳いだ後は、浜辺で甲羅干し、体を十分にあたためる。
時間にすると、おそらく泳いだ*のは1分ぐらいを2回、体をあたためてたのが30分ぐらい。
誰もいない浜辺でレジャーシートを敷いてまぶしい太陽のもと波の音を聞きながら寝転がっていた。

(*水着+水泳用Tシャツ+長袖ラッシュガード2枚で合計4枚を着たうえで。)

 

10日間たっぷりある、と思っていたのが、
5日目ぐらいになると、帰る日が近づいている感じがしてそわそわしてくる。

リモートワーク目的で来ているのだから、あまり遊ばなくても構わない、と思っていたのだが、
あれもこれもやりたい、と1日が忙しくなってくる。

そして先ほどの堺浦1回しか海に入らずに父島を終えるのはもったいない、と
シュノーケリングツアーの老若男女がよく潜っている宮之浜へ行くことに。

天気の悪かった初日に通りがかった宮之浜

シュノーケリング団体を横目に、様子を見ながら端っこでトライ。
魚がいそうなことは確認できた。この日は寒くて短時間で切り上げる。

そして、気温が24度となった日、2回目の宮之浜リベンジ。

この日は天気もよく、水温も快適。
波は殆ど感じられなかった。

シュノーケルやフィンをつけると自由が奪われて嫌なので、
水泳用のゴーグルのみつけて普通に泳ぐタイプなのだが、
おそらく10分以上連続で水の中を夢中に泳ぐ。
今回は浜から見てど真ん中を進んでみる。
そこまで深く進まない段階から
水色や紫っぽいサンゴ、
細長い黄色い魚(あとで調べたらヨスジフエダイという名のよう)の群れ、
他にも様々な魚があちこちに。

遮る大きな岩礁もなくこれほど広い空間を泳ぎ回って魚がどこにもいるってのは、
初めての経験。

近づいても魚は全然逃げず、筆者も水の中の生物としてみなされているかのよう。
地球と私とが1対1で向き合うようなそんな経験をすることができた。

 

母島に展示されていた水中メガネ。昔の人も魚を見るのを楽しんでいたのだろうか。

 

 

4. 滞在する、島の生活を垣間見る

10日間の旅行で会話した島の人たちは基本は観光業関連の人たち。
そして揃いも揃って、島の自然やアウトドアレジャーに魅せられて外から移り住んできた人ばかりであった。

人口2000人ほどという父島、400人ほどという母島、
住んでいればすぐに顔見知りになってしまいそうだが、
公務員の比率も多く、数年以内に入れ替わるケースも多いらしい。

島には小笠原村役場のほか、東京都庁の支庁、国土交通省や環境省、林野庁の事務所、
小学校、中学校、高校、警察署、JAXAや都立大学の研究所ほか研究所、警察、自衛隊、とあって、
公務員は確かに多そうな印象。

外から移住してきた人も多く、
農業がさかんな母島のほうは少々濃密のようであるが、
父島はある意味、都会っぽい人付き合いであるようだ。
(ちなみに車は品川ナンバーである)

 

訪れた3月末~4月初めは年度の入れ替わりで、
着任者、帰任者の歓送迎会がお店お店で行われていた。

行きの小笠原丸が父島に到着すると、新しい着任者のお迎えのプラカードがあちこちに見え、
帰りは、島の花々で作ったレイや冠をかぶって見送りの人たちのアーチを帰任する人たちがくぐって乗船する人たちの光景を見ることができた。

4月初めに父島を出航する小笠原丸の船上から見送る人々を見下ろす

小笠原丸が父島を出るとき、
島の人たちが多数ボートで追いかけて見送ってくれるのが慣習となっているようなのだが、
6日に1回これが行われているとはなんとすごいこと。

小笠原丸出港中も島に滞在したことで島全体での受け入れ準備体制も知ることができた。
小笠原丸が入港する日、町に放送が流れ、
到着するのは12時ごろ、乗客498名、といった内容がお知らせされる。
観光業の人たちは、どれどれ、とネットで確認する必要もなく、
何かの作業をしながらそれを知ったり、お迎えの時間を調整したりできる。
島の生活が観光業と連動している。

 

見送りの船が何艘も小笠原丸を追いかけてくる。
最後は飛込のパフォーマンス。だいぶ沖まで来てくれる船もいる。

 

5. 太平洋に思いをはせる

小笠原旅行をして良かった、と思ったこととして、
地球の大きさを体感できたというところも挙げられる。

日本国内を高速道路で走ったり、海外旅行に飛行機で行ってもあそこは何時間で行ける、
といった感覚は身に着くが、
小笠原丸に乗って24時間、1000kmの船旅をしたことで、
父島⇔ハワイ間は約6000kmと聞けば、あーその6倍ね、とか、
東京⇔サンフランシスコ間は9000kmと聞けば、船なら9日間ほどの距離ね、
と、頭の中ですっと距離感を想像できるように。

だからって何なのか、という話だが、
歴史上の人物が海を渡ってどこそこに行ったというエピソードや
どこどこの国との交易が、という史実が
遠い世界の話ではなく現実味をおびてくる。

小笠原の歴史、というと、
沖縄のように昔から固有の文化圏が発達してきた、というのとは全然性質が違うものの、
知れば結構おもしろい。

小笠原貞頼の話は、本当でないとか、本当である、とか、諸説あるよう。

 

今もこの人たちの子孫が住むという。

 

小笠原ビジターセンターの展示で筆者が最もはまったのが
ジョン万次郎の足跡。

1841年、高知の足摺岬の沖で漁をしていて遭難した14歳の万次郎と漁のメンバーは
黒潮に流されて鳥島に漂着。
1年後に通りがかったアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に助け出される。
万次郎は捕鯨の技を身につけ、才能も認められてアメリカで教育を受け捕鯨を継続。
世界中の海をまわる。
25歳でどうにか土佐に戻ることができ母に再会。
その後、日本で土佐藩や幕府に重用され、父島にも開拓調査や捕鯨のために訪れている。

 

Google Mapで父島を開き、海のまっただ中から上下左右進んでみると
たちまち自分がどこにいるのかわからなくなる。

しかし、船上では島の存在は結構な遠くから見えてくるし、
小笠原の夜空を見れば、昼以上に月や星がガイド役になってくれることに気づく。

航路のマップを見ると、長い長い船旅が超人的にも見えるのだが、
小笠原で身につけた感覚をもとに想像すると、
陸地があるところは陸地沿いを進み、そのほか点在する島を頼りにむのなら、実現可能なことに思えてくる。

1853年の黒船来航も、ペリーはよくもはるばる遠くの日本に来たものだ、と思っていたが、
この太平洋一帯、そもそも鯨の油目的で捕鯨船がたくさん行き来しており、
それほど特別なことや奇想天外なことでも無かったのではないか、と思えてくる。

さらに、ジョン万次郎が日本に帰ってこれなかったのは
船が無いとか技術が無いとかお金が無い、ということよりも、
日本が鎖国していたためだった、ということがわかり、
なんと鎖国のデメリットがこんなところにもあったのか、と驚く。

そして、鳥島への漂着も、万次郎だけでなく、
過去には、1719年に静岡の甚八・仁三郎・平三郎などの12名が、1739年に江戸の富蔵ら17名が、
その後、土佐の野村長平や肥前の儀三郎が、 1789年に鹿児島の三右衛門ら6名らが、と
記録だけでも100名近くが経験している。
黒潮に流されたら流れに身をまかせるしかない。

 

今だって、
スーパーにいつでも欲しいものが並ぶわけでもない。
海が荒れれば待つしかない。

こんなことを知れば、
決してあきらめるのではないけれど、
与えられた環境の中でどうするのか考えるしかないというタイミングも長い人生あるのだ、
と、おおらかに捉える範囲を広げられようになる。

日々忙しくなりすぎたときや
キューッと気持ちや身体が固まってしまうとき
小笠原の砂浜に寝転がって眺めた空や葉っぱ、波の音を思い浮かべよう。

甲羅干しをした浜辺の景色

( Originally Posted on 2026-04-30 )

 

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