デザインTシャツ【コウシュ】のブログ
11/24、と異常に早かった今年の初雪。
その後かなり暖かい日もあるものの、着実に冬になってきている感がある。
雪の日、
通勤は本当にうんざりで、同僚との会話はネガティブなものになりがちだが、
実のところ、心の中で少しはしゃいでいる部分もあるものだ。
雪はあらゆるものを輝かせ、空気を澄ませ、雑音を吸収するので、
自分の神経が研ぎ澄まされたような錯覚に陥る。
日本の風土の重要な1要素である雪は、
万葉集の時代から和歌にも取り上げられ、
日本の文化に影響を与えてきた。
唐の詩人、白居易(772-846)がうたった「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」
をオリジナルとして、
「雪月花」(せつげっか)(「月雪花」(つきゆきはな))が
四季の美しい景色を表す言葉として日本にも定着。
文様に目を向けると、
16世紀頃には雪の模様がみられる。
当時、日本人は雪の結晶を見たことがない。
けれど、中国では紀元前150年ぐらいにすでに前漢の儒学者である韓嬰が『韓詩外伝』の中で
「韓詩外傳曰、凡草木花多五出、雪花獨六出」
(木や草の花の多くは五角形であるが雪は正六角形である)
と6角形であることを指摘しており、
漢詩ではその後、雪がしばしば六花と表現されるように。
(あの、雪の恋人、マルセイバターサンドの六花亭の名もここから)
それで、
日本では、雪の結晶を見てではなく、
降ってくるぼたん雪や、植物に積もる雪を見て、
また、雪は六花という知識先行で、
雪の文様 – まるい輪っかに花のようなくぼみをつけた文様
がつけられるようになる。
こうして生まれたのが「ゆきわ」模様。
ゆきわ模様が諸外国の雪模様と違ってユニークなのは、
それが単体としてだけでなく、
輪郭として使われる、その中に季節を問わない草花、樹々、なんでも描かれてしまうことである。
その後、世は江戸時代。
世界で雪の結晶の研究は進んでいく。
日本にもオランダから顕微鏡が1765年に渡来。
小野蘭山、司馬江漢、と雪の結晶の観察にはまる人々が登場し、
ついに、関東下総国古河の城主、土井利位(どいとしつら)が30年以上にわたり
雪の結晶を顕微鏡でのぞいて本にまとめた(1832年。続編は1840年)。
我々は、昔の日本人を、十二単着て、まろの顔して、ちょんまげして、と今の世と隔絶して捉えがちだが、
そうだ、理系おたくはいつの世にも存在したはずだ。
(話がそれるのでこの辺までにしておくが、八代将軍吉宗が全国の各藩の動植物の名・絵図を提出させたり、博物大名と呼ばれた大名もいる)
土井利位の雪華図説は、
縦17cm、横12cmほどの小さな私家版(全17丁)小冊子で、
雪の夜、舞い落ちる雪を黒字の布でひろいうけ、ピンセットで黒い漆器に入れて
それを顕微鏡で観察した雪の結晶図を86種類(続編でさらに97種類)表したもの。
茨城県古河市のサイトに雪華観察の再現模型の写真が載っている。
殿様は熱心で結構なことだが、家来も寒くて大変だ。
雪の結晶には、星型や六角形、放射形のもののほかに、六角柱やピラミッド型などのものもあるそうなのだが、
土井利位の雪華図説にはそのようなものが出てこず、
おそらく自らの美的感覚による選別が入っているのだろう。
1835年、ベストセラー『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)
(雪国の暮らしや諸相をまとめた本。江戸などの暖国の人々にとって興味深々の内容)
で雪華図が抜粋されると、
その美しさが世の中に知れ渡り、
着物、手ぬぐい、色紙短冊、お菓子、器、とありとあらゆるものに雪の結晶模様が大流行した。
ここはこんなに豊かに多様に雪の模様を取り入れてきた国だったのだ。
おまけのリンク
◇土井利位の地元、茨城県古河の古河歴史博物館
◇『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)の雪中熊を採る図と農人夫婦が吹雪に遭う図
◇米のウィルソン・ベントレーの『雪の結晶』(1931)の雪の結晶の写真
◇サイモン・ベックの雪のアート
参考
高橋喜平『雪の文様』
鈴木道男『『雪華図説』再考』
ほか